

愛媛の教科書問題 > 愛媛の教科書問題「特集・オピニオン」
愛媛出身と名乗れなくなった(2002/08/18 『愛媛新聞・読者の広場』より)
<東京都/鴻上 尚史(44)/劇団「第三舞台」主宰>
愛媛県教育委員会の井関和彦委員長以下、6人方は、歴史的な判断をしました。賛成する人も反対をする人も、この判断を忘れることは一生ないでしょう。
この判断で、「新しい歴史教科書をつくる会」は復活することでしょう。ぼくが読んだ新聞によると、会員が減ったとされ、昨年の採択が0.04%で「敗北」と判断していた「つくる会」は、愛媛県教育委員会の判断によって再生するのです。
愛媛県人及びぼくのような愛媛県出身者は、「つくる会」を救った県人だということを忘れてはいけません。
これだけ議論が分かれ、アジアが注目し、南京大虐殺はあったのかなかったのか、自虐史観は未来への史観なのか過去への史観なのか、太平洋戦争はやむにやまれぬ戦争だったのか侵略戦争だったのか、日本民族は世界に誇れる民族なのかそれともアジアの交流点としての民族なのか、多くの人が議論し、多くの人が闘っている中、教育委員会は歴史的な判断をしました。
それも、非公開で議論の流れが見えないまま。
私事で恐縮ですが、ぼくが高校生の時、「全国高校演劇コンクール」というものがあり、高校生だった僕はそれに参加したいと学校に申し出ました。その当時愛媛県教育委員会は、非公開の議論の後、「文化部が交流するとアカになる」という結論で、演劇コンクール参加を禁止しました。全国では盛んに演劇部が参加している普通の大会参加を禁止したのですから、愛媛県独自の歴史的な判断です。
それから十数年後、文部省は、指導要領で「文化的成長と交流」をうたい、愛媛県で「全国高校演劇コンクール」の全国大会が開かれることになりました。僕は全国大会の審査員として招かれましたが、この大会に教育委員会が反対しないのが不思議でたまりませんでした。
僕は、僕が高校生だった当時の教育委員会の人を捜し出して、「ほら、文化部が全国的に交流してますよ。みんなアカになりますよ。反対しないんですか?」といおうと思いました。が、その当時、教育委員会だった人は、誰も僕の前に名乗り出てはくれませんでした。でも、僕は、その当時、独自の判断をした教育委員会の人たちを一生忘れないと思いました。一生に一度、高校生だった僕の可能性を奪った人たちです。
同じように、今回の教育委員会の人たちを一生忘れない人たちはたくさんいるでしょう。
井関委員長は「日本の教科書は日本の問題。韓国や中国からとやかく言われる筋合いではない」と言ったと新聞にあります。奈良、中国や韓国の教科書が日本のことをどんなに書いてもも文句は言えなくなります。その考え方は、いったい、どこにたどりつくのか。
一つはっきりしていることは、これから、韓国や中国に旅行に行ったとき、「お生まれは?」とか「お住まいは?」と聞かれたとき、僕は「愛媛県です」とは名乗れなくなったということです。これだけ議論の分かれる教科書を、非公開の議論で簡単に採択した県の出身者だとは、はずかくて言えないのです。