

愛媛の教科書問題 > 愛媛の教科書問題(2) 2002/08/15
◆「国は”正しい歴史”検定やめよ」/扶桑社版採択を考える
須藤自由児 松山東雲女子大学教授(哲学・倫理学)
教科書問題は、憲法や教育基本法の改正、有事法制の制定を目指した動きなどに表れている、歴史の大きなうねりの一部と思われる。いかなる教科書を使うべきか、教科書制度はどうあるべきかは、これからもずっと問題になり続けるだろう。扶桑社の歴史教科書と、この教科書の著者や支持者たちの持っているような思想が広がらないことを願い、私の考えを述べたい。
これまでの教科書の多くは、世界大戦を資本主義経済の発展に伴う必然的な結果として描き、かつ、平和主義に立って戦争の悲惨さを示そうとしてきた。植民地主義や世界大戦が必然だったという描き方には問題がある。しかし、この(扶桑社版)教科書の著者たちは、歴史に関して倫理的な判断をしないと言いつつ戦争を肯定し、日本軍のアジア諸国に対する侵略行為を正当化する「物語」を描いている。
南京大虐殺は存在せず、日本軍は国際法に違反した犯罪行為は行わなかった。従軍慰安婦については否定できないが、中学生に教えるのは不適切だ。これが著者らの考えで、多くの研究者により批判されている。
現在の日本社会には、不況、財政危機、政治家・官僚の汚職、企業の不正、児童の虐待、自殺の増加など多くの問題があり、著者たちは「日本が溶解、解体してしまう」と危機感をもつ。
だが、彼らは、こうした状況を克服するために、原因を明らかにし(政府の批判も含むだろう)解決に向けた具体的な努力を行うことではなく、植民地化されず、欧米先進国に挑戦できたアジアの唯一の国家という「誇るべき歴史」を描くことで、日本国民としての意識を形成することが大切だと考える。ここから、内では時の政府に批判的なものを「非国民」と呼んで攻撃し、外に向かって「日本人だ」と肩を怒らせる、戦前のような社会まではあと一歩ではないか。
昨年、土居教育委員長(当時)は「平和主義はイデオロギーだ」と言ったが、国粋主義や軍国主義や権威主義とは異なるイデオロギー(思想・考え方)にたつ歴史教育を行うべきだと思う。土居氏らの念頭にはない、障害者など弱いものの権利を守り、他国の人々との共生を求め、自己であり他者であれ間違いについては率直な批判を行える国民であることは誇るに十分値する。
研究者の中には考え方の違いがあり、現にさまざまな歴史書が書かれている。扶桑社の教科書の著者たちは歴史観は自由だと主張してきた。見解の違いは、個人間の論争になる。だが、国が検定した「正しい歴史」を、自治体が公的に採択した教科書で教えるとなれば、国家間、民族間の対立・抗争に発展する。国の検定はやめ、教科書は、現場の教師たちが自らの責任で選ぶようにするのがよい。また、すでに試みられているようだが、外国の学者たちとの合同の歴史教科書の編修も行われるべきだろう。