愛媛の教科書問題 > 愛媛の教科書問題(1) 2001/08/08〜2002/08/14

◆高校教科書の検定/ブレに文科省の限界をみる ◆


 高校一年生が来春から使う教科書の検定が終わった。「ゆとり路線」の新学習指導要領が高校でも来年度から実施されるのに伴う初の検定で、九年ぶりに一新された。 今回の検定で際立ったのは、文部科学省の基本スタンスのブレである。ゆとり路線と言いながら、学力低下に対する不安の声をくむ形で、途中、指導要領の考え方を変えた。この方針変更は、編集作業の終わった段階だったため、教科書会社を混乱させる結果となった。文科省の責めは大きい。

 同様のブレは、先にゆとり教育が導入された小中学校の指導要領でも見られた。確かに、詰め込み教育の弊害は取り除かねばならない。一方、先進各国に比較しても見劣りする学力低下の現状がある。ブレは、そんなはざまで苦悶(くもん)する文科省の姿を映し出している。 その意味で、全国一律の尺度を設け、児童生徒を一括指導するという「国家管理型」の現行教育制度は限界に来ているのではないか。教育の主体を地方へ振り向け、分権することの大切さをあらためて思う。

 ブレが致命的な形で出たのは理数系の教科書だ。本来、社会生活を営む上で欠かせないと思われる内容まで削(そ)がれている。例えば、「ダイオキシン」「内分泌かく乱物質(環境ホルモン)」や、「万有引力」「進化」など重要な記述までが削除された。 これは、中学校の学習内容が三割カットされ、高校教育が窮屈になったあおりだ。「進化」は高校の教科に繰り上がったが、高校は選択科目が多い。このため勉強しないまま卒業する生徒も出てしまう。学力低下が一層懸念されるゆえんである。

 本来、教育は系統性と連続性が欠かせぬ。しかし、文科省のブレが、それらを損なう形になってしまったのである。 「理科離れ」が叫ばれて久しい。今回の検定では、執筆者が生徒に興味を持たせようと工夫した部分も多かった。しかし、それを「範囲外」「必要のない記述」などの理由で削除させたのも理解に苦しむ。

 これとは別に、歴史教科書の検定ではスタンスを変える姿勢もみられた。それは、韓国や中国への配慮をにじませた点だ。具体的に言えば、これまで記述を認めていた「李氏朝鮮」を不適切とし「朝鮮」に修正させるなどした。

 歴史教科書の記述をめぐっては、これまで周辺諸国との間でしばしば政治問題になってきた。このため、日韓の間では、共同研究作業も始まろうとしている。

 ただ、それには限界もあろう。例えば、日韓の間で領有権がぶつかっている竹島の問題などは極めて整理困難だ。しかし、歴史のすりあわせ自体は十分意味のある作業であり、結果を待ちたい。

 最後に繰り返すが、多様化、分権化、国際化が加速度的に進む現代であれば、教育の一律管理にはもはや限界があるだろう。時代にふさわしい抜本的な教育の構造改革こそ待たれる。

(2002/04/11 『愛媛新聞/社説』より)