SOS団が結成されてから一年が過ぎ、一つ一つ数え上げていけば何本の指が必要なのか考えたくもないぐらい様々なトラブルに見舞われ、人として成長したかどうかはともかく非常識を受け入れる寛容さだけは育んだ自信がある。
 しかしそんな俺のカスピ海より広い心を以ってしても断言できるぐらい、今回は酷かった。
 結果として俺自身は何一つ得るものもなく、ただ濡れ鼠も真っ青の雨ざらしになってまで散々な目に遭遇した過程が身体のあちこちにできた擦り傷や全身を絞り上げられるような筋肉痛となって残っただけ。
 その上、最後の仕上げがこれだ。
 俺は先ほど朝比奈さんから未来発の指令として渡された書状、あの二目と見れないような文面が一杯に書かれた忌まわしき手紙を、頭に思い浮かべた。
 内容を述べることは死ぬほど憚られるのでここでは黙秘するが、ただ結びとして書かれていたのは、
『心を込めて言わなきゃダ・メ』
 という朝比奈さん(大)の筆跡であろう丸っこい文字と、その隣に添えられたレアステーキから染み出る血を垂らしたように情熱的なキスマーク。あれが無ければ即破り捨てていた。
 やはり世の中は理不尽の塊なのだ。ハッブル天文台でも観測できない遠くの未来まで俺に無茶な要求ばかり突きつけてくる。
 そろそろ度重なる心身創痍のお見舞いとして朝比奈さん(大)もしくは(小)からの三次元的なベーゼが欲しいんだが、こういうのはどこに届け出ればいいんだ? 市役所か?
「有希ったら遅いわね。どこまで探しに行ったのかしら。……ちょっとキョン、もともとはあんたが悪いんだからね! 一体どこまでジュース買いに行ってたのよ! 言い訳ぐらいなら一応聞いてあげるから、粛々と説明しなさい!」
 俯けていた顔を上げれば、団長机に腰掛けたまま大岡裁きを下すような目つきで俺を睨みつけてくるハルヒと、 
「でも、長門さん本当に遅いですよ。やっぱりあたし達も探しに行ったほうがいいんじゃ……」
 メイド姿の朝比奈さんが、心配そうにミントのような香りがするであろう息をつく姿。俺からすれば、ほんの少しだけ過去の二人だ。
 ちなみに俺とともに時間を跳んでやってきた方の朝比奈さんは、部室の外で待機して下さっている。やる事やったら、手に手を取り合って逃亡を図る手はずだ。あぁ麗しき命綱。少しばかりご機嫌斜めなのが玉に瑕である。
「ていうかあんた、さっきから何でぼけっと突っ立ってんの。反省の意思表示のつもり? 甘いわよ。せめて石を抱えてプールに飛び込むぐらいしないと相手に誠意など届かないと知るがいいわ」
「あのぉ、キョンくん、ひょっとして具合悪いんじゃないですか。顔色よくないですし、ね? 大丈夫?」
 異端審問官のように容赦なく攻め立てるハルヒボイスに、会ったこともないナイチンゲールを彷彿とさせる朝比奈さんの声が被さる。たしかに具合は悪いです。
 しかし、いつまでもこうしちゃいられない。
 俺は唾をごくりと飲み干し、いい加減に覚悟を決めた。
 もういい。どうせやるって決まってるんだ。あとのフォローも俺がやってくれるんだし。というかやったんだし。
 間違いなくストレス性の偏頭痛を無理矢理意識の外に追い出した俺は、狭い部屋に漂う湿った空気を苔が生えそうなぐらい胸いっぱいに吸い込むと、じっと二人の顔を見つめたまま、
「……ちょっと、聞いて欲しいことがあるんだ」
 今にも崩れそうなボロ窓のガラスには、空が涙しているような雨粒が累々と流れ続けている。
 言っとくけどな、泣きたいのは俺の方なんだ。





 さて、始まりは何の事も無い六月の平日。
 空は梅雨という季節を額面どおりに受け取ってしまったかのように大雨続きで、なめくじやカタツムリはともかく俺としては非常に鬱陶しい気分にさせられるため、さっさと晴れやしないだろうかと文句交じりに考えていた。
 六年に一度ぐらいは、さわやかな風と暖かな陽射しが降り注ぐ梅雨があればいいのに。そうすりゃ低地に住む人も、床下浸水の事なんて考えずにぐっすり眠れるだろう。
「馬鹿だなキョン。それじゃ、そこかしこで水不足が起きるに決まってるじゃん」
 ノーベル賞もののアイディアを一言のうちに打ち据えたのは、隣で顔を埋めてしまいそうな量のプリント束を抱えながら歩く国木田だった。窓が閉め切られているせいで、乾いたシューズの足音がことさら大きく聞こえる。
 俺は、同じく自分の顎まで届きそうな大量のプリントの幾何学的バランスを維持しながら、
「いいだろ。たまには現実の理力に縛られない空想の内で遊んだって」
 何せ現実なんてロクなものじゃないからな。脳裏では、ハルヒが何か企む時のドクダミ草っぽい笑顔が宵の明星のように輝いていた。望遠鏡を叩き割りたい気分だ。
「ほら、キョン。そっちじゃないって。こっちこっち。生徒会室だろ?」
 プラチナのように固い接眼レンズを石で叩く妄想を浮かべている間に、どうやら歩き過ぎてしまったらしい。呆れ顔の国木田の隣に戻った俺は、再び生徒会室へと進路を取った。
 何故生徒会室なんて物騒な所に向かっているのかと言えば、理由は簡単。
 俺達がいま抱えている、よくわからない数字の羅列で埋めつくされたプリントが、あのインチキ眼鏡会長率いる生徒会への届け物だからだ。
 今年同じクラスになった男子のうち、生徒会に入っている物好きが一人いるのだが、そいつは国木田と仲が良く、たまに教室で自分の仕事を手伝ってもらっているらしい。
 で、今回は国木田繋がりで俺もその手伝いをしているわけ。どうせ暇な昼休みだし、善意から成る無償労働もたまにはアリだろ。つっても、ただプリントを運んでるだけなんだが。
 ちなみに、頼んだ当人は印刷室でつい先ほど煙を吐き始めた古めかしいコピー機と絶賛格闘中だ。勝てるといいけどな。俺には祈ってやる事しかできそうにないよ。南無阿弥陀仏。
 心の中で合掌しているうちに、生徒会室のプレートが視界に入ってきた。
 あんまりいい思い出のある場所ではないが、最近は生徒会、というか古泉が妙なちょっかいをかけてくる事も無かったし、実際の所、極端な苦手意識はまだ芽生えていない。
 春先の出来事を思い返しつつも、俺たちが部屋の目と鼻の先まで到着した時、折よく扉を引いて姿を見せたのは、ヒューマノイドインターフェイス兼生徒会書記の喜緑江美里さんだった。
 長門とも朝倉とも異なる落ち着いた柔和な表情と顔を合わせるのも、久方ぶりだ。
 喜緑さんは俺たちを見つけると、一足早目に来た夏の日陰のような微笑を浮かべて会釈をした。溶けたプラスチックみたいに柔らかい。
「あの、喜緑さん、悪いんですけどドア開けといてもらえますか」
 両手が塞がっているので、と俺が言うと、喜緑さんは小さな体を一杯に使って引き戸をスライドさせる。
 俺は会釈を返しつつ生徒会室に入ろうとしたのだが、
「うわっ!」
 背後で悲鳴が聞こえたと思ったら、間を置かずに新品のレンガをバチで無理矢理叩いたような鈍い音が廊下中に響き渡る。
 身体ごと振り返ると、どこぞの新年行事のごとくばら撒かれたプリントの真ん中で、国木田が頭を抱えつつ蹲っていた。腰をつけた廊下はかなり濡れているらしく、そこだけ蛍光灯の光でやわく切り取られている。
 おいおい、滑って頭でも打ったのかよ。
 手が塞がっていて出遅れた俺の代わりに、静々と歩み出てきた喜緑さんが、国木田の手を取って立ち上がるのを手伝ってやっている。それを横目に、俺も無人の生徒会室に駆け込んで適当な机の上にプリント束を乗せ、すぐに廊下に戻った。
「大丈夫だったか?」
 駆け寄って問いかける俺に、先ほどの位置から微動だにしていない国木田は返事を返そうとしない。というかこっちを見てもいない。
 その代わり、喜緑さんがむき出しの膝をリノリウムに置いてプリントを一つ一つ摘み上げている様を、デッサンの遠近感を鉛筆で計る画家のように注視していた。
 何で喜緑さんがプリントを拾ってて、こいつが突っ立ってるんだ。まさか、打ち所がまずくて動けないとか?
「国木田、保健室行くか?」
 俺の真剣な声を聞くに至り、そこでようやくどこかから戻ってきたらしい国木田は、自分の腕と白い紙が散らばった廊下を交互に見ると、
「……ご、ごめん!」
 慌てて膝を突き、プリントを掻き集め始めた。
 ごめんって言われてもな。本当に大丈夫なのかね、こいつは。俺は不安を覚えながらも、ともかくサルベージ作業に加わった。
 あちこちに散らばったA4のプリントは結構な量だったが、三人がかりで集めればそう大した時間はかからなかった。何分も経たずにプリントを揃えると、会長の机の上に改めて乗せて、お使いボランティアは終了となる。
 最後に廊下に出た喜緑さんが部屋の鍵を閉めるなり、それまでずっと俯き加減だった国木田は、尻を金属バットで叩かれたように顔を上げると、
「さっきはごめん、キョン。それと、その、あなたは」
「生徒会書記の喜緑です」
「あ、く、国木田です! よろしくお願いします! ……じゃなくて、どうもすいませんでした!」
「こちらこそ、お手伝いさせてしまったみたいで。どうもありがとう。本当に怪我、しませんでしたか?」
「はい! 何の問題もございません!」
 特殊部隊に入隊したばかりの新兵のように角張った国木田を、俺は口を半開きにして見つめていた。何かキャラ変わってんぞ、こいつ。
 喜緑さんは特に驚くことも無く、念のためと言いながら国木田に保健室を勧めたあとで上品に会釈をすると、こちらに白い背中を向け、あくまで静々と三年生の教室棟に向かって歩を進めていく。
 揺れながら小さくなっていく、飛び立つ水鳥にも似た後姿を見送る国木田の表情を眼下にするにつけ、俺は嫌なデジャブを感じはじめた。
 この雰囲気というかオーラと言うか、こう、粘着性の高いゼラチン質のものに、たしか以前も身近で当てられたような気がする。アメフトっぽい何かで。
「……なあ、国木田。あんまし聞きたくないんだけどさ、お前ひょっとして」
 妙な予感で背筋をざわめかせる俺に対し、国木田は妖精の国に迷い込んだ夢見がちな少年のように瞳を潤ませ、一言だけ呟いた。
「凄く、可愛い」
 外では今も雨が降り続いていて、灰色に濡れた校舎なんて、梅雨にしては珍しくも何とも無い風景だった。
 そう、事件の引き金ってのは、大抵何でもない日に起こるんだ。そこらにばら撒かれた枯れ木の枝に擬態するナナフシみたく、不意打ち気味に、何の音も立てずに。
 もっとも国木田からすれば、ただの雨だと思っていたそれが、空から降る大輪の薔薇の花びらに姿を変えていくのが見えていたのかもしれない。
 廊下を歩けば恋に落ちる。たった今考えた諺だが、結構使えるんじゃないだろうか。辞書に登録しといた方がいいと思うぜ。





「……で、あれなわけか」
 放課後になり無人となった俺の隣の席に偉そうに君臨し、谷口は言う。
 指の先は、一番前の席で流れる雨をじっと見つめている国木田の方を向いていた。コインランドリーに行く度に乾燥機に張り付く妹みたいだ。何が面白いのかナノピクセルほどもわからん。
 あいつとは中学の時から一緒だし、お互いに思春期の秘密とも言うべき急所を握り合っている部分もあるのだが、それでもここまで浮ついた姿を目にするのは初めてだった。新たな一面を発見したと喜ぶべきなのか、ここは。
「何ていうか、教科書どおりの恋煩いだな」
 まったくだ。三分に一度、タイマーでもセットしてあるかのように漏れる悩ましげなため息は、聞いてる方までむずがゆくさせてくれる。サトイモ色のため息って感じ。
「ところでキョンよ。その彼女って可愛いのか?」
「ああ、かなり」
「マジかよ! あいつ、結構面食いなのな」
 谷口は同好の士を見つけた下着ドロのような笑みを浮かべた。
 国木田が面食いかどうかはともかくとして、この前の中河といい、どうして俺の周りにはこう極端な奴が多いんだ。ヒトメボレ? どこの国の食べ物デスカー? って感じの俺にとってみれば、ほとほと理解に苦しむね。
 それともまさか、今まで気付かなかったけど国木田にも中河と同様の特殊な眼力が備わってしまっており、情報統合思念体とやらが喜緑さんの背後に透けて見えるってんじゃないだろうな。
 早急に部室へ向かい、長門に確認を取らなくては。
 俺は机にぶら下がった鞄を、旬の野菜を収穫するかのようにもぎ取って立ち上がると、
「そろそろ行くわ。じゃあな、谷ぐ……」
 ガタンっ、と不意に響いた音に、真心がまるで入っていない別れの挨拶はかき消された。
 音の発信源である国木田は、引き過ぎて後ろの机と一体化してしまっている椅子もそのままに、長門のようにレーザーを跳ね返しそうなほどメタリックな無表情で俺の方にツカツカ歩み寄ってきたと思いきや、
「キョン。喜緑さんとは、どういう関係なの?」
 妙に迫力のある口調だ。俺は内心面食らいながらも、
「どうもこうも、ほら、お前らにも手伝ってもらった機関誌があっただろ? あの件でちょっと顔を合わせただけだよ」
 本当は去年の今頃、やたらとでかい昆虫採集をさせられたのが初めなんだが、それを言う必要はないだろう。
「それはつまり知り合いってこと?」
「そうだ」
 宇宙人相手にただの知り合いもクソも無さそうなものだが、正鵠を得た表現が思いつかない。
「だから、どうぞ俺なんかにお構いなく……」
「手伝って!」
 蚊でも止まってたのかと一瞬思ってしまったぐらい勢いよく机に平手を打ちつけ、目玉が引っ付くほど接近してきた国木田に、またしても尻を踏まれる俺の声。悲鳴をあげる暇も無い。
 教室の中央に固まって談笑していた男女数名も、すわ何事かとこちらに目を向けてくる。
 俺は片手を踏み切りの遮断機みたいに九十度で上下させて、好奇心でテカテカと光る視線を散らした。嫌らしいものは大抵テカテカ光っているものなのだ。金持ちの前歯とか。
「手伝うって、何をだよ。引越しでもすんのか?」
 そう聞くと、国木田は視線だけで一瞬きの間を作り、
「友達になりたいんだ、喜緑さんと。でも、僕はあの人と接点ないから、キョンに間に入ってもらいたい」
「はぁ? ともだちぃ? お前、そりゃ付き合いたいの間違えじゃねえほは」
 下手なラッパーみたく無理なオフビートでしゃしゃり出てきた谷口の口元を抑え、俺は答える。
「お前の言うことは解るがな、生憎と俺も喜緑さんとはそこまで仲良いってわけじゃないんだ。だから俺に頼むより、自分で何とかした方が早いと思う」
 やりようなんて幾らでもあるさ。それにもう見ず知らずの相手ってわけじゃないだろ。お前が花咲か爺さんばりにプリントを振りまいたのは、そこそこインパクトがあったと思うぜ。
 国木田は、それからしばらく考え込んだ様子で下を向いたまま固まっていたが、やがて蛇口から漏れた水滴のようにぽつんと頷くと、
「今の時期から生徒会って入れるのかな……」
 呟きを残して、早々と教室から出て行った。
 しばらく他のグループのさんざめく話し声を耳の中で遊ばせていると、頬杖をついた谷口が、何が面白いのか知らんが、誰のデザインだこのステキ生物はと皮肉を口にしたくなるような公共機関のマスコットみたくニヤついた顔で、
「あーあ、いいのかキョン。無責任なこと言っちゃって。あいつが本当に生徒会にでも入ったらどうすんだ。あそこって、お前らの団と敵対関係にあるんじゃなかったっけ?」
 俺は鞄を肩の裏で担ぎ直して、
「ねえよそんな関係。春秋戦国時代じゃあるまいし。敵対してるつもりなのは」
 放課と同時に第一宇宙速度で空になった後ろの机を指で小突き、
「こいつだけだ。毎度のことだろ」
 黒板の上に据えられた時計を見やると、長針が想像以上に上向きになってしまっていた。
 遅いわねあのアンポンタン、なんて毒づきながら指先をイライラと上下させる団長の姿を心の団扇で吹き消しながら、俺は今度こそ谷口に別れを告げ、はるか旧館へと足を向けた。
 とりあえず、国木田の感じたそれが本当に一目惚れなのかどうなのか、はっきりさせる必要がある。あとできれば、喜緑さんに彼氏なり彼氏役に割り振られた奴がいないかって事も。
 




 部室に到着した頃には、既に俺を除くSOS団の全員が揃っており、結局長門に相談を持ちかける事はできず終いだった。
 普段から行動を共にしている谷口には一応きちんと説明したものの、反恋愛派のハルヒをはじめ、完全に無関係な朝比奈さんと古泉の前で、国木田のプライベートに関わりまくった話をするわけにもいかないしな。
 というわけで、気もそぞろだった団活が終了し全員が解散してから、俺は改めて長門のマンションを訪れていた。
 家具の一つどころか埃さえ見つけるのに苦労しそうなほど物の少ない部屋で、静かなる長門とテーブル越しに向かい合う。薄い緑茶で喉の粘膜を潤してから、俺は話を切り出した。
 恒常的に無口なヒューマノイドインターフェイスは、やはり口を挟まずに黙って耳を傾け続け、やがて北極の氷壁がじわりと溶けるみたいにようやっと口を開いた。二酸化炭素の恩恵だ。
「彼は普遍的な意味で、有機生命体の一個体に過ぎない。情報統合思念体にアクセス可能となるような特異能力の類は一切所持していない」
 じゃあ、国木田は俺と同様に正真正銘の一般ピープルだと?
「そう」
 ってことは、あいつのあのアレっぷりは、正真正銘の一目惚れだってわけか? 
 参ったな。八割以上の確率で中河と同じパターンだと踏んでいたが、どうやら当てが外れたらしい。あいつの頭をゴツンとやってやれば、すぐに醒める夢のような話だとばかり思っていた。
 むしろ、そっちの方が何かと穏便にすませられそうだったんだが。
 俺は一度窓の外に視線をやり、滑るように流れる電車の明かりを辿ったあと、改めて長門に向き直り、
「喜緑さんの交友関係とか、わかるか?」
 国木田が、あいつ風に言うとお友達になれるような隙はあるのか。個人的な好奇心も混じらせ、尋ねてみる。
「彼女と共有している情報は少ない」
 長門はそう前置きしてから、
「現在の様子から総合的に判断すると、有機生命体に対して必要以上の関係性を成立させようとはしていないはず」
 それっきり、ブレーカーが落ちたかのように押し黙る。俺は沈黙に答えるように、またひとくち緑茶を啜った。
 知りたい事は大体わかった。国木田はどうやらマジで喜緑さんに一撃KOされ、そして幸運にも、喜緑さんは現在フリーだ。
 しかし、ああ、何だかなあ。俺はまた、最近癖になりそうなため息を吐いてしまう。
 他人のことだし、どうでもいいと言えばどうでもいいんだが、ウサギ並に年中発情している谷口ならまだしも、国木田だしな。いかんせん情報のエントロピーが高すぎる。
 しかも相手が意味不明宇宙存在作のアンドロイドと来たもんだ。まだ旅行先でカナダ人とかに一目惚れしてくれた方が安心できる。電話代の請求額が桁上がりするぐらいで済むだろうし。
 俺は、身近なモデルケースとして長門が誰かとお付き合いしている場面を想像してみた。
『ヘイ有希! どこか行きたい所はあるかい?』
『図書館』
『オーケイ! さあ、そこのタンデムシートにシットダウンしな! 国道を風のように飛ばすぜ!』
『素敵』
 はい、許せません。
 というか何だお前は。誰の許可を貰ってそんなヘチマみたいな事言ってやがるんだこの野郎。図書カードの作り方知ってんのか?
 ……いや、まあ、例えばこんな具合にだな。色々難しいんじゃないかと心配してしまうわけさ。
 週末の株価チャートみたく眉を上げ下げする俺の様子をどう取ったのか、長門は再び桜色に染め抜かれたお猪口のような唇を開いた。
「彼女が自身の行動の障害になると感じた場合、彼の情緒に対し何らかの形で干渉することは有るかもしれない」
 そしてまた、じっと俺を見つめる作業に戻った。
 そうか。こいつらは自分の役割を果たすためにハルヒの周りに集まってるんだもんな。
 なら長門の言うように、喜緑さんは宇宙的かつ超現象学的な力で以って、国木田に覆い被さったピンク色の憑き物を払い落としてしまうのだろうか。
 それは、どうなんだ。良いのかそれとも悪いのか。俺にはさっぱりわからない。
 ただ、アメフトの帰りに公園で聞いた、長門の衣擦れのように微小な声を思い出す。
「友達になるぐらい許されそうなもんじゃないか? なあ、長門」
 長門は頷きもせず、鏡の中の自分と対するように、俺を見つめてくる。
「お前だって、結構友達多いのにな」
 わざと目を細めて言うと、長門はやはり無言のまま、薄いお茶を静かに啜った。俺もそれに倣い、湯飲みを持ち上げる。
 見目麗しいメイドさんもいいけど、照れ屋な宇宙人が淹れるお茶だってなかなかの物だ。