「ふごふごご」
「なるほどなるほど」
「ふごっ! ごごっごごごっ!」
「まさかそんな、ありえませんね……」
「ふごるる、ふごふごる」
「いえいえ、こちらの方こそいつもお世話になって」
「ぶごぉ、ぶごるぶ!」
「ははは、またそんな御無体なことを」
「…………ふごご」
「すみません。正直何をおっしゃっているのかまったくわかっていませんでした。認めますからどうか角をしまってください」








 トナカイ・ミーツ・ガールズ / 5












「適当に返事をしていたのは謝りますが、部屋に入った途端トナカイに詰め寄られた僕の身にもなってください」
 突きつけていた角を引っ込めると、タコ型エイリアンに光線銃をつきつけられたかのごとく諸手を挙げて降参を示していた古泉は、一つ肩を竦めてから、
「しかし……長門さん。このトナカイたちは、その、本当に?」
「事実」
 どうやら古泉は、俺と朝比奈さんがトナカイにメタモルフォーゼしたことについて未だに半信半疑らしい。
 そりゃまあ、男手一つで今まで自分を育ててくれた父親なんかが、「新しいお母さんだよ」とか言いつつアライグマを連れてきた日にはそいつ洗濯しかできないだろと重箱の隅を突付くような嫌味を口にするのではなくむしろ救急車を呼ぶためすぐにでも携帯を取り出すところだが、そこは今まで散々デタラメな目に遭遇してきた俺たちのことだ。これぐらいの突飛なイベントは、すっと飲み込めよ。当事者の俺でさえ既に飲み込んでるんだぜ。喉につかえて死にそうだけど。
「事実を有りのままの受け入れろ、と彼は言っている」
 長門が俺の言葉を通訳すると、古泉はいつもより若干横幅が大きい俺との距離を測りかねているように適当な立ち位置を探りながら、
「あなたにそう言われてしまうと五体満足で二足歩行を続けている僕としては受け入れざるをえないのですが、いかんせん事態が異質にすぎますね。涼宮さんがこれまで起こしてきた数々の奇跡的所業に比してもですよ。たとえ世界を変えることはあろうとも個人をここまで、しかもよりによってあなたと朝比奈さんとは、今度ばかりは、僕も涼宮さんの胸中を計りかねますね」
「ふご、ふごるるふごふっごご(いや、直接トナカイに変えたのは長門と喜緑さんだぞ)」
「まったく、あいつには困ったものだぜ、と彼は言っている」
 超訳である。というか歪訳である。
 不正の影すら表に出さず粛として立っている長門を、抗議の意味合いを込めて角の先でちょいちょい突付いていると、
「ふこ〜っ! ふくくぅ〜っ!」
 朝比奈さんが早朝の牧場に響く穢れ無きヨーデルのように可憐な声で嘶く。
 ところで、漫画なんかだとよく動物同士が会話をしている場面が描かれていたりするが、あれはフィクションもいいとこで、俺がトナカイになったからといって他のトナカイの言葉が理解できるというわけではなく、ここでもまた長門の翻訳機能に頼らなくてはならない。ちなみに喜緑さんは、朝比奈さんをトナカイにチェンジさせた直後に、仕事を残してきたとかで退室してしまっていた。あの人何しに来たんだろうな。
「涼宮ハルヒがこちらに向かって来ている、と彼女は言っている」
 長門の翻訳を受けて、部室内に緊張が走る。
 首を回すと、落ち着かなさそうに蹄を鳴らす朝比奈さんのつぶらな瞳は、窓の外に向けられていた。渡り廊下を歩いてくるハルヒの姿を見つけたのだろう。ハンターに銃口を向けられたかのようにオロオロと茶色の毛で覆われたお尻を振っていらっしゃる。共に北方の密林で余生を過ごしませんかと誘ってしまいそうになるぐらい可愛く見えるんだが、俺っていよいよ本能までトナカイに近づいているのか?
「さて、どうしますか? この状況を上手く取り繕うのに僕の弁舌だけではあまりに頼りないですし、お二人を隠匿しようにも、その体格ではこの部屋から出れるかどうかも怪しいところです」
 体格って言うかこの角が問題だよな。しかし、この姿でハルヒの前に出たりしたらどうなるか、まったく予想がつかない。先が読めないってのはつまりそれだけリスキーだということでもある。例えば問答無用で近所の動物園に輸送されたり、「トナカイの肉って食べたことないわね、そういえば」とか言いつつ包丁を片手に迫ってくるかもしれない。
 長門を挟んで、古泉と意見を交わす。
「ですが、あなた方をトナカイに変えたのが涼宮さんだとするならば、涼宮さんと顔を合わさなければ話が前に進まない可能性もありますよ」
「ふごる、ふごごふこここ(だから、俺たちをトナカイに変えたのはハルヒじゃないんだって)」
「わかった、このままハルヒを待つことにしよう、と彼は言っている」
 ぜんぜん交わせてなかった。スタッフサービスに連絡して新しい通訳さんを派遣していただきたい。
「ふこー、ふごごふごるる、ふごぅふごぅ(頼むよ長門、色々と軽率だったのは謝るから、そろそろ許してくれないか)」
 湿った鼻先を地面にこすり付ける俺に、長門は感情を露も表さない声で、
「違う」
「ふご?(違う?)」
 見上げれば、乾いた布で拭きあげたばかりのレンズのようにクリアな瞳を俺に向けながら、
「怒っているわけではない。古泉一樹の言葉が正しい。あなた達はその姿のまま涼宮ハルヒと遭遇する必要がある」
 どういう意味だ、と追求する暇はもう無かった。
 耳タコの足音がすぐ傍まで来ており、かと思えば次の瞬間には、
「やっほーー! みんな揃って…………」
 うんざりするほど見飽きた顔が、俺と朝比奈さんの姿を捉え、
「トナカイがいるわっ!!」 
 それなりに動揺しているらしい。長門に向かって見たままの状況を報告した。こじんまりと頷く長門。
「しかも二頭いる!!」
 今度は古泉に。うやうやしく頷く古泉。
 次いで俺の元へ駆け寄ってくると、ショーケース越しに見るだけだったエレキギターを買えるだけの金がようやく貯まったカッコつけたい盛りの中学生のように浮き足立って、
「あんた、トナカイであるからにはソリぐらい引けるわよね?」
 引けるかもしれんが引きたくはないね、と言ってもわかりゃしないだろうし、俺はとりあえず「ふご」と鳴いてやった。
「よしよし、いい返事だわ」
 角を持ってがくんがくん首を揺さぶってくる。人間だった時とやられてること変わらねえな。
「そっちの可愛らしい子は?」
 朝比奈さんもどうすればいいかわからなかったようで、後ずさりながらも「ふ、ふこ」と吐息を漏らす。ハルヒはそれで満足したらしく、朝比奈さんの背中の毛並みを丁寧にブラッシングしながら、一等星も遠慮して道を譲るような笑顔を部室の真ん中で輝かせつつ、
「ってことは、次はソリね。んー、ちょっと手抜きだけど、その辺の板切れでさっと作ってしまえばいいか。プレゼントも、まあ適当で、あとはサンタ役を誰が……」
 ぶつぶつと呟きながら何事か確認しているようだ。やがて段取りでもついたのか、一度大きく頷くと、
「ところで」
 一見すると可愛らしくも見えない角度で首を傾げつつ、
「何でトナカイがこんなところにいるの?」
「ふごごっご!(やっとかよ!)」
 水飴のようにベタベタした突っ込みも今やただの鳴き声に過ぎず、ハルヒはこの場で応答可能性のある長門と古泉にだけ注意を向けている。
 普段ならこういう時は脂の乗った詩人のごとく虚実を併せて朗々と謳いあげる古泉なのだが、今回ばかりは口が重く、どう説明しようかと頭をフル回転させるのに必死らしい。笑顔に浮かんだ皺が微増量していた。
 当然、俺と朝比奈さんはせいぜい鼻息吐息ぐらいしか出せるものは無い。あと涎ぐらいだ。
 よって誰も口を開けないまま、気まずい沈黙が部室を席巻する。
 そんな中、一歩進み出たのは長門だった。
 ざわ、と空気が揺れる。
 長門、何か考えがあるのか?
 目で問いかける俺に、頼もしい視線を返してくれた。さすがSOS団きっての万能選手。一家に一人の長門有希だ。もしももっと幼い頃に俺が長門と出会っていたならば何でもできて頼れるお姉さんに憧れまくり、将来の夢の欄に『たんまつ』と書いて職員室に呼び出されていたことだろう。俺は年上に弱い。
「有希、この子たちどこから連れてきたの?」
 改めて訊ねるハルヒに、長門は一切の躊躇無く答えを返す。
「マンションの前で拾った」
 何だかんだで嘘が下手ないい子なのである。