「………………」
「いたたたたたたたっ!! 痛い! 痛いぞ長門!!」
「………………」
「無理! 無理だから!! その角度は無理!! 普通に曲がんない! 俺の首そんな関節多くない!!」
「………………」
「え? これなにこのアクロバティックな姿勢。俺こんな姿勢初体験……いだだだだだっ!! 長門違うそこは背骨だし根本的に関係なァーーーーっ!!」
「…………抜けない」
「だ、だからさっきから言ってるじゃってうおおおっ!! そんなことしたら脳が、脳の形がプリンみたいに二層構造に……あ、でもちょっと気持ちいいかも」
「……」
「しれないけどやっぱこりゃ無いやってか超いてぇえええぇぇーーー!!」
「やはり抜けなかった」











 トナカイ・ミーツ・ガールズ / 3












 荒療治というよりもはや中世の拷問の域に達していた長門によるトナカイ隔離処置は、俺の体と心に癒えない傷をつけただけで、つまり全くの無駄骨、というより骨軋み損のくたびれ儲けという奴だった。
 で、きっかり十秒ほど黙祷するかのように黙り込んだ長門が出した結論は、
「あなたの皮膚がぬいぐるみと完全に癒着している」
 薄々勘付いてはいたが、ずっと目を背けていた事実を突きつけられ、俺はたじろいだ。皿の上に残した嫌いな食い物を点滴される気分だ。
 というか、やっぱり呪いのアイテムだったのか、このぬいぐるみ。 
「それ自体はただの布製品。特に変わったところは見受けられない」
「え? じゃあ何だって俺の顔にくっついて離れないんだよ」
「何者かの意志が介入していると思われる」
 何者か、ね。まあ、こんなトンデモパワーを持っている奴は、携帯の履歴で検索しても一人しか見当たりゃしない。
「どうせまたハルヒが何か妙なこと考えてんだろ……それはいいから、長門。こいつを何とかできんのか」
 できる限り力技以外で。
「外科的処置は可能だと思われる」
「あー、もう何でもいいからやってくれ」
 しかし、今まで俺の頼みを断るという事を知らなかったお父さんっ子の長門は、ここに来て初めて反抗期の兆しを見せた。
「私は高い」
 金である。若い娘はすぐこれだ。ブランドとか中身の無い虚像に踊らされるんだ。
 俺は世俗にまみれた宇宙人に対し、喜べばいいのか悲しめばいいのか、複雑な親心を噛み締めながら、
「高いって、幾らぐらいなんだ」
「十億」
 国家予算だった。
「……何でそんなに高いんだ」
 島でも買うのか。一人っきりのプレジャーワールドを作り出すのか。理由無き反抗なのか。
 長門はあくまで静かに、
「モグリだから」
 ……こいつ、そう言えばこないだブラックジャック読んでたな。
「母親の値段としては安いもの」
 いや、今母親は関係ないから。あと十億は多分四代かかっても払い切れない。
「なら他を当たって」
 うっわ、すげぇ冷てえ。
 ……やむをえない。ここは乗っかってみるか。
「わかりました、先生。一生かけて払います。だから母を、母を助けて下さい!」
 俺が泣きの演技をかますと、長門はいつもより少し長く瞬きをして、
「その言葉が聞きたかった」
 感動の名場面が今ここに。この後BJは手術室に消え、母親は救われるのだ。ありがとう手塚先生。俺の顔面も救われます。
「では、オペを開始する」
 言いながら、長門はそこらに転がっていた鉛筆をぐしゃっと握ると、次に手を開いた時現れたのは、銀色に輝く鋭いメスだった。
 メスである。性別ではない。言い訳しようのないほど刃物である。
 俺は恐々と、
「な、長門、まさかそれ、本当に使うわけじゃないよな?」
 役に入り込むための小道具的ポジションだよな?
 そんな願いもむなしく、長門は消しゴムをゴム手袋に変えると、抑揚の無い声で、
「顔面の皮膚を切開し、トナカイの表皮と剥離したのち、再び整形手術を施す」
 切開って、石灰とかじゃないよな。
「いや、待て。ちょっと待て。お前いつもの、ほら、何とか言語みたいな、情報改竄能力はどうしたんだよ」
 何で今回に限ってそんな生々しいんだ。血湧き肉見えてしまうじゃないか。確かに漫画版は手術シーンが詳細に描かれているが、そこまで再現するつもりか。
「情報改竄は先程行なったが、受け付けられなかった。現状においては直接的手段に訴える他ない」
 直接的過ぎるだろうそれは。X指定間違いなしのキワモノだ。
「長門、もう少し情報戦でいってみよう」
 お前の力はこんなミステリアストナカイに負けるようなちゃちなもんじゃないはずだ。
 世界を塗り替えたお前の力を見せてやれ!
 それがダメならメスを鉛筆に戻してやってくれ! 俺のなんだそれ!
「……わかった。本気でやる」
 俺の言葉で火がついたのか、長門は口を動かし始める。
 その速さたるや、今まで見た中で一番のスピードだ。第一宇宙速度だ。
 俺の体が、ぼんやりと光を放つ。
 お! これは来たんじゃないか!
 長門の口はさらに高速回転を始め、残像すら見えなくなり、逆に完全な静止状態に見えるほどになっていた。
 それに伴い、俺の体は蛍人間のように光を強め、やがて目を開けていられないほどの光の奔流が部室を覆いつくす。
 瞼が焼けそうだ。
 しかし、次第にその光も止んでいき、部屋が元の明度に立ち戻る頃には、俺の顔にあった違和感はすっかり消え去っていた。
 ……よし! さすがだぜ! 長門!
 俺が感謝の辞を述べようと長門に向き直ったのだが、何処からか妙な匂いが漂ってくる事に気づき、思わず口を噤む。
 これは、昔うちの妹と一緒に行った動物園の匂い。
 妹もあの頃はまだお兄ちゃんと呼んでくれていて、わざわざ買ってやった鳥の餌を俺に投げつけてきたもんだ。豆まきだと思ったらしい。
 ……いや、今はそれはどうでもいいんだった。
 おいおい、誰か知らないが随分と獣臭いじゃないか。風呂ぐらいちゃんと入れよ。人として最低限のマナーだろ。
 大衆の代表として憤る俺に対し、長門はスッと何処からか取り出した鏡を差し出してくる。
 何だ、寝癖でもついてるのか、いや、というかでかい角がついてるな。こいつは驚きだ。顔も毛むくじゃらだし、これじゃあまるで二足歩行の突然変異トナカイ……、
「戻せなかったので、いっそトナカイにしてみた」
「ぶごぉーー!!」
 俺は泣いた。というか鳴いた。ひょっとして長門、さっきの貧乳発言を根に持ってるんだろうか。
 そして、痛嘆の声が部室に響き渡った、正にその時、
「こんにちわぁ〜」
 モンシロチョウが擬人化したようにささやかで可憐な声で入ってきたのは、誰あろう部室の天使長、朝比奈さんである。俺がトナカイでさえなければ、抱きしめてあげたのに。
 朝比奈さんはきちんと後ろを向いて丁寧に扉を閉めると、枯れた植物が思わず頭を上げてしまいそうなほどチャーミングな笑顔を携えながらこちらに向き直り、
「お二人で何してたんですかぁ? さっきからすごく楽しそうな叫び声が…………」
 曇り一つ無い瞳が、俺の野性味溢れる姿をその内に閉じ込める。
 かくして、朝比奈さんと俺は出会い、二人の種族を超えた愛の物語が古のタペストリーのように紡がれて、
「はふぅ」
 卒倒した。ヒロインが不在で、どう物語の収集をつければいいんだ。ただのトナカイ生育日記になってしまうじゃないか。
「ぶごぉー」
 とりあえず鳴いてみた。誰か助けて下さい。
 いななく俺の横で、長門は昏倒した朝比奈さんの手首を握ると、
「キリコの仕業」
 こう言っちゃ何だがな、頼むから早く来てくれ、古泉。