「キョン!いつまで寝てんの!」
朝。今日は日曜日。ママがパパを起こしている。
「……おい、ハルヒ。お前は知らんかもしれないが、今日は日曜だぞ」
パパはなかなか起きない。いつもお仕事してるから、疲れてるんだと思う。
「そんな事知ってるわよ。だから、さっさと起きて支度しなさい。今日は市外パトロールよ」
でもママはそんなの気にしない。本当は優しいけど、パパにはすごく強引だから。
「あの子だってもう起きてるのよ! たまには父親らしいところ見せなさい!」
「いや、割と毎週どっか出かけてるじゃないか。お前こそたまには母親らしく、寝転がって昼ドラでも見てたらどうだ」
今日はいつもより長目に抵抗しているみたい。
「……いい加減にしないと、あんたのお小遣い20パーセントカットするわ」
「待て。わかった。起きるから、それはやめてくれ」
やっと起きた。何だかんだ言って、パパはママにすごく甘い。
「おう、おはよう」
しばらくして、パパが下に降りてきた。私の横に座って、用意されていたご飯を食べ始める。
「なあ、あいつ今日はどこに行くって言ってたっけ?」
知らないよ。でも、パパとママと出かけるのは楽しいから、どこでもいい。
「そうか」
パパは笑った。
「さあ、キョン。車を出して。いざ出発よ!」
おー、と私とママが言うと、パパはいつもみたいにため息をつきながら、車を動かし始める。
「で、今日はどこまで行くんだ?」
「この山よ。何か最近、正体不明の土器が出土したらしいわ。怪しいにおいがぷんぷんするわよね」
ママはそういいながら、書き込みだらけの地図を指差している。これまでに行った場所は、全部チェックが付いているのだ。
「昔の人かなんかが、適当に作ったのを埋めただけじゃないのか?」
パパはあきれたように言う。いつものことだった。
「わかんないわよ。宇宙人の遺跡とかがあるかもしれないじゃない」
ねー、と後ろを向きながら私に聞いてくるママの目は、いつもみたいにキラキラしてた。
だから、私も、ねーって言った。
パパは、またため息をついていた。それも、いつものこと。
「おい、お前ら、もうちょっと、ゆっくり、歩いてくれ……」
後ろからパパの声がする。振り向いてみると、少し下の坂で、パパはお腹のところを押さえていた。
「このぐらいでバテるなんて、運動不足よ、キョン。その内お腹がでてくるかもかもしれないわね」
お腹が出ているパパを想像してみる。ちょっと嫌だった。
私は、ママと繋いでいた手を離して、パパの下に駆け寄った。
そのままパパの手を引いて、坂を駆け上がる。お腹が出るといけないから。
「ちょ、ちょっと待てって、おい! こら! 止まりなさい!」
ママはそんな私たちを見て、お腹を抱えて笑っていた。
坂の上には、大きな公園があった。草の匂いがする。
「んー! いい天気ね! お弁当、この辺で食べましょうか」
ママはそう言うと、大きな木のテーブルの横にある、小さな木の椅子に腰掛けた。
私はその横に、パパはその向かいに座って、お弁当を広げる。
好物のから揚げがたくさん入っていたので、私は思わず「おー」と声をあげた。
ママのご飯は、いつも美味しい。外で食べると、もっと美味しい。
パパとママは、一生懸命食べる私を見ながら、何か楽しそうに喋っている。
お弁当を食べ終わった後は、三人で色々なことをして遊んだ。
ぐるぐるまわるやつとか、ぶらぶらするやつとかが特に楽しかった。
パパは疲れたような顔をして座り込んでいたけど、その度にママが手を掴んで立ち上がらせていた。
少しかわいそうだったから、座っててもいいよ、と言ったら、
「大丈夫さ。慣れてるからな」
と、ちょっと恥ずかしそうに笑いながら、私の頭を撫でてくれた。パパは私にもすごく甘い。
「なあ、ハルヒ。さっき言ってた土器とか何とかって、調べないでいいのか?」
しばらく遊んだ後、お弁当を食べたテーブルでジュースを飲んでいたら、パパがママに声をかけた。
ママはしばらくぼーっとした後、
「ああ、そう言えばそうだったわね」
と言いながら、苦笑いしている。パパはおねしょした私を見る時と同じ顔で、そんなママを見ていた。
「じゃあ、ちょっと下の売店に行って話しを聞いてくるわ」
ママは立ち上がる。私も立ち上がる。
「あんたはパパとお留守番してなさい。少し難しい話をするから、ついて来てもつまんないわよ」
ママはそう言って、私を抱き上げて椅子の上に座らせた。
「じゃあ、キョン。ちゃんとこの子を見てるのよ」
「ああ、わかってるさ」
ママは公園の出口まで歩いていってしまった。
パパは、そんなママの背中を、少しだけ寂しそうに眺めている。
パパが仕事に行く時のママの顔に似ていた。
ママが帰ってくるまでの間、パパに遊んでもらった。
それぞれ草を抜いて、その草同士で引っ張り合う遊び。
パパの見つけてきた草は強くて、私の草は何本も千切れた。
くやしかったので、木の枝を持っていくと、「ママみたいな真似はやめなさい」と言われて、取り上げられた。
ちょっと悲しい。
パパは、そんな私の顔を見て、少しだけ慌てたようにしながら、お話を始めた。
それは、宇宙人とか未来人とか超能力者がでてくる話で、その話を聞くのが、私は昔から大好きだった。
しばらく話に聞き入っていると、すごくいい所で、ママが戻ってきた。
ママには、この話は内緒にしておかなくてはならないのだ。
どうしてかは分からないけど、内緒にしないと、もう聞かせてやらん、とパパが言っていたので、内緒にしているのだ。
今日寝る前に、続きを聞かせてもらおうと思った。
「調べてみたら、ほんの何年か前に作られたものだったんですって、誰かが悪戯で埋めたみたいね。ホント、がっかりだわ」
ママはアヒルみたいな口をしながら、ストローのついたジュースをごくごく飲んでいる。
私も真似しようとしたら、パパに怒られた。
そんな私を見ると、ママは急に笑顔になった。
「そうそう、さっき、すごい場所見つけたのよ! 二人で行きましょう! 今度はキョンが一人で留守番してなさい!」
そう言うと、ママは私の手を掴んで、いつもみたいに駆け出した。
「あんまし危ない所に行くんじゃないぞ!」
パパの声が、だんだん遠ざかっていく。
私はそれが面白くて、もっと早く走って行った。
緑のトンネルを抜けて、変な形の木を潜り、さっきまでとは、匂いの違う場所に出た。
「ほら、見てみなさい!」
ママは私を抱き上げると、片手で指をさす。
そっちの方を見ると、少し開いた木の並びの間から、大きな景色が見えていた。
沈みかけた太陽が、ずっと遠くの海まで照らしている。
私たちの家は、どっちなのかな。
「うーん、こっからじゃさすがに見えないわね」
ママは、目を半分閉じて、遠くを見ようとしているようだ。
私も真似をして、遠くを見ようとしてみる。でも、やっぱりよくわからなかった。
「ねえ」
気付いたら、ママが私の方を見つめていた。悲しそうな、嬉しそうな、よくわからない顔だった。
「今日、楽しかった?」
うん。
「毎日、楽しい?」
うん。
「そう、良かったわ。……でも、ほら見て」
ママはもう一度、緑と青と、そして色々な色の混じった景色を指差した。
「すごく広いでしょう?ここからじゃ、人もあんまり見えないわね」
本当だ。何かが動いているのは見えるけど、それが何なのかはよくわからない。
「でも、この景色の中には、たくさんの人がいるのよ。私たちみたいな家族が、何人も何人もいるの」
友達の事を思い出した。みんな、私みたいに、パパとママがいる。
「それでも、この景色は、日本の中ではほんの一部。とってもとっても小さいの」
車の中の地図を思い出した。色んな場所に行ったけど、まだ一ページも埋まってない。
「日本だって、世界から見れば、ほんの一欠けら。すごくすごく小さいのよ」
世界は、よく知らないや。
「その中では、あなたと同じように、毎日を楽しいと思ってる人や、あなたよりもっと楽しい毎日を過ごしている人も、たくさんいるの」
楽しい毎日。毎晩から揚げパーティーなのかもしれない。
「あなたは、きっと、どこにでもいるような、普通の子供なの」
ママはもう一度私を見つめてくる。私もママを見つめた。
「それでも」
ひょっとしたら、ママは悲しいのかもしれない。
「それでも、いいの?」
だから、私は教えてあげることにした。
まだ見たことのない人や、まだ行ったことの無い場所。
いくら書き込んでも埋まらない地図や、どこを見ても違った景色。
それを、一つずつ見つけていくのは
「すごく、楽しいよ」
ママは、少しびっくりしたような顔をした後、私に向かって、いつもみたいに笑ってくれた。
ママの瞳は、いつか見たお星様みたいにキラキラと輝いている。
私の瞳も、きっと。
帰りの車の中、私は後ろの席で、ママの膝を枕にしながらうとうとしていた。
「この子、きっとあたしより大物になるわ」
「そうか。大至急育て方を改める必要があるな」
「どういう意味よ!」
パパとママの、楽しそうな声が聞こえる。
「このままでいいわよ。この子も楽しんでくれてるみたいだしね」
「……ま、それもそうか。しかしハルヒ、もう少し遊ぶペースを緩めてもいいんじゃないか? 正直俺の体が持たんぞ」
「遊びじゃないわ、パトロールよ! 世界の不思議を、全部私とこの子のものにするの!」
「世界って、お前な。この車を何キロ走らせる気だ? ただでさえもうボロボロなんだぞ」
「あんたがもっと稼ぎまくって、ジェット機でも買えばいいのよ」
「……無茶言うな」
ママの手が、そっと私の髪を撫でる。
「……ねえ」
「ん?」
「この子、かわいいわよね」
「ああ、最高だ。俺とお前の子とは思えないな」
「……じゃあさ」
「何だ」
「もう一人ぐらい増えても、別にいいわよね」
「…………マジか?」
「マジよ」
車が揺れる。私も揺れる。
ふわふわしてる。もう、眠ろう。
「……ああ、ますます最高だね」
明日もきっと、楽しい一日。
「じゃ、あんたのお小遣いは40パーセントカットね」
「おい!」