三年前、四日目。
 少年の事が気になりはしたが、気にするなと書かれていたし、夕方には事情を聞けるはずだ。
 今はとにかく、ハルヒである。

 
 作戦その四 『小さな恋のメロディー 遊園地接触編』

 またしても早朝。
 俺は易者のコスプレをしながら、
「彼女さ、映画が始まって十分もしないうちに、帰っちまったんだ……」
 昨日とはうってかわって、さめざめと泣く谷口の人生相談に乗っていた
「しかし、お主の誘いを断らなかったということは、脈は無くも無い、ということが無きにしも非ず、のような気もするぞ」
 何だか本気で慰めてしまう俺。
「それによく考えてみろ。明日は学校が休みであろう? 昨日の雪辱デートをするには、絶好のチャンスではないか」
「でも俺、彼女にあんまり好かれてないような気がする……」
 昨日の上がりっぷりとは対照的な下がりっぷりだ。振り子みたいな奴。
「大丈夫だ。今日はお主のために、昨日よりも素晴らしいものを用意しておいた」
 懐から取り出したるは、遊園地の一日フリーパスが二つ。
 俺の財布は火の車どころか、燃えることすらなくなった。もう小銭しか残ってないからな。
 今すぐ返品したいところを、断腸の思いで谷口に差し出す。
 谷口は、チケットを目にして、二三度瞬きをすると、湿っぽい声になりながら、
「おっさん、何でそこまでしてくれるんだ……」
 ドキュメンタリー番組の司会にはない正直さで、かなり感動している。
 そんな奴に、ぶっちゃけ自分のためだ、とは言えるわけもなく、
「お主の黄金色に輝くオーラが、私をそうさせるのだ」
 エロ本の裏表紙より胡散臭い言葉を並べ立てる俺。何か自分がどんどん汚れていくようだ。
「頑張るのだぞ。私はいつでも、君を応援しておる」
 せめて、谷口には楽しい思いをしてもらおう。
 心に魚の骨が刺さったような罪悪感を感じながらも、俺が激を送ってやると、
「わかった。わかったよ、おっさん! 俺、彼女をデートに誘う、そんで、明日こそ告白するよ!」
 え?
「いや、ま、待て。告白はせんでもいいんだ。ちょっとばかりハルヒの退屈を解消して……」
「本当にありがとう! 今度友達を百人ぐらい連れてくるからなー!」
「あ、待てこら、告白はいかん。いかんぞ。私の占いによると、一旦成功はするが、五分というカップラーメンに丁度いいスピードで……」
 最後まで言葉を聞かず、ブレーキの壊れた勢いで走り去っていく谷口。
 俺はその後姿を呆然と見送ったあと、長門から預かった携帯を取り出して、
「あ、もしもし、長門か? その、悪いんだが、遊園地の着ぐるみを一つ……」





 やがて日が沈もうとする頃、屋上には人影が二つ。
「ほら、水」
「え?」
 え、じゃないだろ。お前が買ってこいっていったんだぞ。
「飲んでもらってよかったのに」
 俺はミネラルウォーターを買って飲むほど金持ちじゃないんだ。
 ペットボトルを不意打ち気味に放ってやると、少年は余裕でキャッチした。
 意外と運動神経はいいのかもしれない。 
 飲もうとはせずに、ペットボトルを手の内で遊ばせる少年に、俺は尋ねる。
「お前、病気なのか」
「ちょっと違うけど、似たようなものかな」
 意外にもさらりと答える。
「今日は大丈夫なんだな」
 少年は顔を上げ、周りをキョロキョロと見渡したあと、
「うん。多分ね」
 なんだよ。風邪のウィルスでも見えてるのか?
「……そんな感じかも」
 少し言い淀んだ。何かありそうだが、人の事情にどこまで入り込んでいいかわからず、俺はそこで止めることにした。
 君子危うきに近寄らず、だ。
 俺はポケットから鍵を取り出すと、 
「鍵、俺が持ってて大丈夫だったのか」
「え? ああ、うん。ガス管のとこに、合鍵置いてあるからね」
 なるほどな。
 納得しながら鍵を手渡そうとしたが、何故か少年は顔をあげると、
「投げてよ。キャッチするから」
「ああ、いいけど」
 今度は間違って落ちたりしないようにゆっくり投げてやると、これまた機敏な動作でキャッチする少年。
 野球部にでも入ってるんだろうか、こいつは。
 それでも部活のことは聞かず、いつも何して遊んでるとか、俺の妹の話とかをしているうちに、時間は砂のように流れていく。
 話の合間、少年はフェンスの外を指差した。
「あれ、何やってるの」
 人差し指を向けられた方角では、蛍がとまっているような光が点々と高台を色づかせていた。
「ああ、あれは祭りの準備してるんだ。あそこには神社があるからな。たしか、もうすぐじゃなかったっけ」
 終業式あたりの日に開催されてるはずだ。
 少年は「へぇー」と気の抜けた声をあげながら、俺の方を振り返ると、
「行った事ある?」
「ああ。毎年行ってるよ」
 最近は友達と行ってるけど、昔はよく妹を連れていってたよな。あいつ、変な着ぐるみに風船貰って喜んでたっけ。
 ノスタルジックな気分に浸っていると、 
「毎年親戚の家に来てるの?」
 あ、そうだった。俺は少し迷ったが、自分の家の方を指差して、
「実はな、実家って、あの辺なんだ」
 ぼかしとけば大丈夫だろ。
 それを聞いた少年は、失礼なことに、口をタコみたいにして吹き出した。 
「プチ家出じゃん」
 うるさいな。多感な時期なんだよ、俺は。
 言い訳しながら長門のマンションの方に目を向けると、七〇八に明かりが灯っている。
 二人とも帰ってきたみたいだな。
 俺は立ち上がり、少年に別れをつげる。
「ああ、そうだ。明日は用事があるから、朝から遊ぼうぜ。お前、学校休みだろ」
 思い出して付け加えると、
「うん。わかった」
 と素直に頷く少年。
 何だかんだで、結構仲良くなってしまったな。 
 その内来るであろう別れが、少しだけ遅くなればいいな、と思った。





 三年前、五日目。
 朝方、少年とコンビニで買ってきた将棋で遊んだ。
 不思議なもので、かんかん照りの青空の下では、ペラペラの紙将棋をしていても運動した気分になった。プラセボってやつか?
 古泉と鍛えた俺の腕に、少年が敵うはずもなく、結果は俺の全勝。
 悔しがる少年を尻目に、俺はタンニングマシンの中みたいな昼前の屋上を後にした。
 向かうは、遊園地。


 作戦その五 『小さな恋のメロディー 遊園地発動編』

 ハルヒと谷口が来る前に、俺はまたしても長門がどこからか持ってきた犬のマスコットキャラ(従業員用のパス付き)の着ぐるみを被って、遊園地内部に潜入を果たしていた。
 これなら不自然に思われずに、直接監視できるな。
 谷口が暴走してハルヒにちょっかいを出さないよう、見張らねばならん。
 だってほら、あれだろ。そのせいでハルヒの機嫌が悪化したら、大変だろ。 
〈二人がバスから降りた。入り口付近で待機していて〉
「了解」
 インカムで長門とやり取りを交わしながらも、
「ねー、一緒に写真とってー」
 さっきから大人気の俺。子供達と一緒に写真を撮られまくりだった。ポーズも取れない棒立ちの巨大な犬と写真を撮って、嬉しいんだろうか。
 お詫びの気持ちを込めて、大げさに手を振りながら最後の家族連れに別れを告げたあと、大急ぎ、といっても足がでかすぎて走れないので早歩きで入り口に向かうと、丁度二人がゲートを潜ってくるところだった。
 遊びにくるには気合の入りすぎている格好の谷口と、ラフすぎる格好のハルヒ。二人の温度差を示しているようだ。
「す、すす涼宮。最初はどこに行きた……」
 無視してスタスタと歩き出すハルヒを、アヒルの子供みたいな足取りで追いかけていく谷口。
 俺はさらにその後ろを、ぺたぺたという足音を響かせながら、アヒルの孫みたいに追いかけていった。

 ジェットコースターにて。
「やっぱ最初はこれだよな。涼宮、こういうの大丈夫な方?」
「私並んでくるから、あんたはここで荷物持っといて」
 
 フリーフォールにて。
「これこれ。日本一の高さらしいぜ。やっぱりこれに乗らないと……」
「興味ないわ」

 宇宙生物的お化け屋敷にて。
「うわっ! ……はは、何だ、大したことなギャーー!!」
「あー、もう! うるさいわね!」 
 
 レストランのテラスにて。
「ご注文はお決まりですか?」
「涼宮、ここは俺が払うから、じゃんじゃん好きなの頼んでくれ!」
「じゃあこの最高級特選フィレステーキ300gと、ジャンボチョコレートパフェと、ドリンクバー」
「……俺、水でいいです」

 観覧車の前にて。
「お二人で乗られますか?」
「いえ、一人ずつでお願いします」
「…………一人ずつで」

 メリーゴーランドにて。
「無理」


 途中から涙なくしては見られなくなったデートも、そろそろ終盤に近づきつつあるようだ。
 夕暮れの色を弾き散らす人工の湖が、成人男性一人分ぐらいのスペースを開けてベンチに座っている二人の顔を照らしている。
 谷口は干されたスルメのようになって俯き、ハルヒはハルヒでソフトクリームを舐めながら、つまらなそうに道行くカップルなんかを眺めていた。
 カップルどころか、どう見ても他人です。
 しかし、谷口は夕日に炙られたスルメのように顔をあげると、ベンチから立ち上がり、座ったままのハルヒと向かい合う。
 あいつ、まさかこの状態で本当に……
「すすすっす涼宮ハルヒさん!」
「何よ」
 目も合わさずに応じるハルヒ。
 それを見て、谷口は一歩後ずさったが、それでも目を瞑りながら、
「その、もし、もしよければ、おおお、俺と、つぅ、付き合ってくれ!」
 二人を後押しするかのように、一斉に街灯が灯りだす。何だこの状況。
 ハルヒは眩しそうに眉間にしわを寄せながら、
「……別にいいわよ」
 と短く答えた。
 一瞬呆然とする谷口。しかし、次第に言葉の意味が脳に届きはじめたのか、顔を夕焼けよりも真っ赤に染め、放心したように立ち尽くしている。
〈落ち着いて〉
 どこからか監視している長門の声を聞いて、勝手に前に出ようとしていた俺の足が動きを止めた。
 いや、しかしだな、別にハルヒが誰に告白されようと知った事ではないが、谷口というのはいかん。俺としてはもっとこう、あいつを更正させられるぐらいのできた男とだな、
〈いいから〉
 長門の声を聞いた俺がたたらを踏んでいると、ハルヒが立ち上がって谷口と向かい合い、
「ただし、次はもっと面白い所に連れてきなさい」
 下僕に命令する上流貴族のようなことを言い出した。
「お、おう! 実はもう、明日の事を考えて……」
 鞄から何か取り出そうとする谷口を置いて、ハルヒはさっきまでと同じくさっさと歩き出す。
 ただ、その後ろに慌てて続こうとする谷口の顔は、目を背けたくなるほど崩れきっていた。猫が福笑いをやってもあれよりマシだろう。
 俺は何となく釈然としないものを感じつつ、舌を出した犬面のままで、できたてカップルの後を追った。
 

 谷口は早歩きでハルヒと横並びになると、手をわきわき動かし始める。
 何だ、呼吸しやすいように空気でも揉んでるのか、と思ったら、卑猥に動く手がハルヒの手の方に微妙に近づこうとしているのが見て取れた。
 まさか、もう手を繋ごうってのか。
 ダメだ。中学生ってのは、もっとこうプラトニックに付き合うもんで、取り敢えずは交換日記ぐらいから始めないとダメだ。
〈あなたがダメ〉
 二人の間に手刀を振り下ろそうとする俺を、長門がまたしても制止する。
 だが長門、こいつらってば中学生のくせして、
「何よあんた」
 前を向いた俺の視線に、ハルヒの視線が正面から衝突する。
 ……まずい。 
「何で真後ろで手を振り上げてるわけ? ……ていうか、あんた昼からずっと私達にくっついてたわよね」
「そ、そうだったのか?」
 ハルヒの言葉を聞いて、胡散臭そうな目を向けてくる谷口。
 俺はとりあえず振り上げた手を自分の頭に持っていき、『てへっ』ってかんじのポーズをとった。朝比奈さん直伝。
 悪意の無い無知で可憐な犬を装う俺に、ハルヒの眼光が鋭く迫る。
「さてはあんた、私を狙う秘密組織か何かの……」
「おかあさーん! ほら見て見て! あの着ぐるみ、ルソーにそっくり!」
 聞き覚えのある声。見れば、二人の後ろから小柄な少女が走ってきている。さらに後ろでは、見覚えのある女性が心配そうに、
「こら、ちゃんと前を向いてないと危ないでしょ……あっ、ほら、前!」
「へ? あ、きゃぁっ!」
 叫ぶ少女。
「「あ」」
 ハモる俺とハルヒ。
「あれ?」
 そして、少女のタックルにより、柵の隙間から飛び出した谷口。
 ちなみに、下は湖だ。
「あれえぇぇー」
 湖や 谷口飛び込む 水の音
 すまん。字余りだ。 


 二分後、集まってきた野次馬に見守られる中、自力で這い上がった谷口に対し、ハルヒは心底あきれたように、
「そういう面白さはいらないわ」
 と一言で切り捨てると、さっさと一人で帰ってしまった。
 カップラーメンの恋も、これでおしまいだ。
 平謝りする少女とその母親、というか阪中親子の言葉も耳に入らない様子で、真っ白に燃え尽きている、というより無理矢理鎮火させられた谷口。
 かける言葉も見当たらない俺がその様子を眺めていると、その内係員が現れて、三人をどこかに連れて行ってしまった。
 谷口。今度一緒に、フィレステーキ食いにいこうな。
 着ぐるみのでかい手で合掌のポーズを作りながら、さて帰るか、と思ったとき、道端にチラシが落ちているのに気付いた。
 谷口が鞄から取り出してたやつだ。
 俺は何気なくそれを拾い上げると、着ぐるみの穴から覗き込む。
 ああ、例の夏祭りのチラシだな。そういや明日だったっけ。
 懐かしいな、と思いつつ字面に目を走らせていた俺は、その文章を見た瞬間、思わず被っていた犬の頭を放り出していた。
 小学生が描いたにしちゃ上出来な神社のイラストの下。
 小さいフォントでプリントされた、短い一行。
『アルバイト急募! 君もヒーローになってみないか!』
 閃光のような鮮やかさで、いつかの記憶が甦る。 
 夏祭り。沢山の屋台。小さな妹。風船を配るヒーロー。
「……これだ」