「どういうことなの? これは」
 某日、放課後。
 二人っきりの部室で、俺はハルヒに詰め寄られていた。
「何であんたが消したはずのみくるちゃんの画像が残ってるのよ。しかもこれ、前より増えてるわよね?」
 そう。俺が今まで隠し通してきたmikuruフォルダの存在が、ついにハルヒにばれてしまったのだった。 
「あんた、ホームページにみくるちゃんの写真を使うなんて言語道断とかあたしに散々説教しといて、やってることはそこらの盗撮趣向マニアどもと同じじゃないの! 最低ね!」
 何が困ったかといえば、ハルヒの怒りっぷりが俺の予想を遥かに超えていたことだ。
 正直言ってバレても馬鹿にされるか白い目で見られるか、或いはその両方だろうと思って軽く考えていたのだが、甘かったらしい。
「どうせ一人でディスプレイごしのみくるちゃんを見つめながらニヤニヤしてたんでしょ! ふん、みっともないったらないわ!」
「ちが……いや、違わないけど、別にそれだけじゃなくてだな。その内記念になるようにと……」
「うっさいバカ!」   
 ダメだ。聞く耳を持たねえ。
 参ったな。こんなことでケンカなんて、さすがに寝覚めが悪い。どうしてここまで怒っているのかは今ひとつわからんが、悪いのが俺であることだけは間違いないんだろう。
 しかし話を聞いてもらわないことには、反省の意も伝えられないじゃないか。
 俺は、団長机に置いた鞄を掴んで部屋を出ようとするハルヒの肩を掴み、
「待ってくれハルヒ。落ち着いて俺の話を……」
 話を最後まで聞くことなく俺の手を振り払ったハルヒは、
「触るなこの変態野郎!」
 という微妙に言い訳しようの無いことを叫びながら、振り向きざまにいつのまにか手に持っていた団長印の三角錐で俺のこめかみを殴りつけ――


「……あ、あれ、キョン? ちょっと、何寝たフリしてんの? え、嘘。ちょっとキョン! こら、起きなさいって! 起きろバカ!! ……だ、誰か救急車! 救急車呼んでーー!!」






 バナナ一本、ツン抜きで。/




 

 目を開くと、飛び込んでくるのは白い天井。
 ……保健室、か?
「俺、何でこんなとこに……」
「キョン! 目が覚めたの!?」
 勢い良く視界を遮ってきたのは、いつもより若干顔色の悪いハルヒだった。
「いやはや。大事無かったようで、何よりです」
「よ、よかったぁ。ひくっ、わ、わたし、また何日も起きないんじゃないかって、ひっ、心配で」
「…………」
 よくよく見てみると、ハルヒの後ろに古泉と朝比奈さん、長門まで勢ぞろいしている。
 俺は体を起こすと、さっきから違和感のあった頭に触れた。
 ざらついた感触。包帯が巻かれているらしい。
 いまいち状況を把握し切れていない俺に気付いたのか、古泉は説明的な口調で喋りはじめる。
「涼宮さんから連絡を受けた時には肝を冷やしましたよ。まさかあなたがバナナの皮を踏んづけて滑った上に壁に頭を打ちつけて失神するなんて。現実にあるんですね、そういうことが」
 そうか、バナナの皮を。
 言われて見れば、記憶が前後不覚な気がする。
 俺がそう言うと、古泉は複雑な顔をして、
「それは、どの程度の……」
「いや、大丈夫だ。お前が心配しているようなレベルじゃない」
 ハルヒの手前、全て言う事はできないが。
「ただ、気を失った辺りの記憶がぼやけてるだけだ」
 それ以外は別に異常ないな。むしろ何だか清々しい気分さえする。血が抜けたのだろうか。
「そうですか。それを聞いて安心しました」
 胸を撫で下ろす仕草をする古泉。相変わらず様になっていた。 
「すまん皆。心配をかけたみたいで。それとハルヒ、よく覚えてないんだけど、迷惑をかけちまったみたいだ。悪かった」
 俺が頭を下げると、なぜかハルヒは明後日の方向を向きながら、
「べ、別にいいわよ。たまたま近くにあたしがいて、あんたラッキーだったわ」
「ああ。本当にありがとう」
 ハルヒは瞼の上をヒクつかせている。照れているんだろうか。
 しかし、気合を入れなおすように自分の頬を叩くと、 
「さ、もう調子は大丈夫なんでしょ! ならさっさと出るわよこんな薬品臭いとこ! もうすぐ学校閉まっちゃうんだから!」
 俺の襟元を掴み上げてきた。自然近づくハルヒの顔。
 良く動く唇。通った鼻筋。
 そして、何かをひたむきに追いかけようとする大きな瞳。
 俺の視線に気付いたハルヒは、慌てて手を離すと、
「ちょ、ちょっとあんた、何赤くなってんのよ」
 何でって、そんなの決まってるじゃないか。
「……か、かわいいな、と思って」






 どうやら俺の台詞は何かの地雷を踏んでしまったらしく、ハルヒは口をぱくぱくさせながら尻餅をつき、古泉は目を普段の二倍ぐらい見開いて、朝比奈さんは虫の死骸でも見てしまったかのように口を手で覆い、長門は何か言いたげな視線でじっとこちらを見つめていた。


「確認しますが、本当に自覚症状は無いんですね?」
 ああ。俺はいつも通りのつもりなんだけど。
 古泉はちらりと長門に目をやったあと、
「おそらく頭に受けた傷か、或いはその際の精神的ショックでしょうか。とにかく、今のあなたは以前のあなたと性格が微妙に異なっています」
「……そうなのか?」
「ええ。ほとんど変わっていないように見えますが、一番あなたらしい部分が、もうごっそりと」
 ごっそりか。そう言われても、なかなか実感が湧かないな。
 でも、不安そうに俺を見つめる三つの視線は他の何より雄弁だ。
 きっと本当のことなんだろう。
「大丈夫です。不安だとは思いますが、我々のことを信じてください」
 絶対に元に戻して見せますから、と神妙な面持ちで言う古泉。
 俺は笑って、そんな古泉の肩をぽんと叩いた。
「当たり前じゃねえか」
 そうさ。お前らを疑うような真似なんて、俺にはできない。
「親友だろ、俺たち」
 だから、そんな水臭いこと言うなよ。
 古泉は笑顔のままで固まると、 
「……涼宮さん」
「……ええ」
 ハルヒと何かを確認するように頷き合う。
 そして、二人揃って俺の枕元にしゃがみこむと、
「さっきはああ言いましたが、無理して元に戻ろうとする必要は全くありません。というか以前のあなたも大体こんな感じでしたしね。そのままで何ら問題ないでしょう」
「そうよキョン。過去の事は忘れて、明るい未来だけを見つめるの。その先にはきっと、あたしたちの幸せが大口を開けて待っているわ」
 輝く瞳で見つめてくる二人。何だかよくわからないが、きっと俺を励ましてくれているのだろう。
「……ああ。ありがとう、二人とも」
 俺、お前らと会えて本当に良かったよ。 
 思わず涙ぐんでいると、朝比奈さんがらしくもない大声で、
「えぇ! い、いいんですか!? キョンくんこのままでいいんですか!?」
「いいのよ、みくるちゃん。万物は皆ことごとく流転するんだから。何もかもが昨日のままなんてわけにはいかないの」
 ね? と俺に憂いを帯びた顔で笑いかけてくるハルヒ。
 心臓が一つ高鳴り、頬が熱を持ち始める。俺はそれを隠すために、少し俯いた。
「やっぱり変ですよぅ! そんなキョンくん、キョンくんじゃふぁふぃふぁふーっ!」
 何か叫ぼうとした朝比奈さんの口を、ハルヒと古泉が二人がかりで塞ぐ。
「お、おい、何してるんだお前ら。朝比奈さんが苦しそうじゃないか」
 ハルヒは思わず身を乗り出した俺に軽く笑いかけながら、
「あんたは覚えてないのかもしれないけど、最近私たちの間で流行ってるのよ、この遊び。ほら、何ていうの、この状態でどこまで言葉を聞き取れるかゲームってやつ」
「ふぉうふぁふぁいふぇふーっ!」
「そうですよ。ちなみに今朝比奈さんは『緑化対策ー!』と叫んでいます。ヒートアイランド現象に対する未来からの警告ですね」
「ふぁふふぃふぁふー! ふぉんふん、ふぇふぉふぁふぁふぃふぇー!」
「へぇー。変わったゲームだな」
「ふぁふふぃふぇーー!」
 じゃれあっている仲間達を微笑ましく見守っていると、今まで静観していた長門が俺の傍に近づいてきた。
「どうかしたのか? 長門」
 そう問いかけると、長門は小さな唇を開いて、
「私の事をどう思ってるか、教えて欲しい」
 何だよ。今日は皆やけに俺に恥ずかしいことを言わせようとするな。
 でもやっぱり、変な誤魔化しはしたくないし、俺は正直に答えることにした。
「大切に思ってるよ。決まってるだろ」
「……そう」
 長門は一度だけ頷くと、朝比奈さんを囲む輪に加わっていった。
 何だかんだであの二人も、仲良くなってきたなぁ。



「ふぁふふー! ふぉふぁふぃいふぇふー!」
 朝比奈さんの声が、白いカーテンを飛び越え、赤い空にまで響き渡る。
 世界は今日も美しかった。